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「美しさ」を言葉で描くこと。

「感動」とか「楽しさ」とかいうものは、そもそも言葉にできない。

美しい夕焼け、

身震いするようなヴァイオリンの音色、

友人との楽しい会話。

それがあまりに「美しく楽しい」ものであればあるほど、言葉になんて置き換えられない。置き換えられないから、スマホで撮ったり、息をのんで聴き入ったり、「あぁ楽しかった、またね!」と手を振りあったりするのだ。

 

ではなぜ、私たちは言葉で何かを伝えようとするのか。

言葉にすること、特に「書く」ことは、「話す」ことより面倒なのに。私たちは「書く」を今のところ手放してはいない。

 

答えは幾通りもある。

その中の1つに、言葉が「大いなる誤解を生じさせるから」がある。

ビジネスの面では「誤解」のないよう説明しつくすことは必要だが、日常の言葉には、「誤解」や「ずれ」はあって当たり前だ。

自分の感動を言葉にして伝えた時、うまくいかなくて気持ちを共有してもらえないこともあるが、逆に自分が見たものよりうんと素晴らしいものを相手が想像し、「私もそれを見てみたい!」となることもある。

 

言葉は伸縮自在。何かだけを誇張して見せることも、雑多なものは「見せない(伝えない)」ことも、簡単にできる。自分の言葉が相手の想像力を刺激し、今ここにないものが相手の心に映し出され、追体験を可能にする。そういう力が言葉にはある。

言葉で伝えられた感動は、スマホの写真を見せるよりも、うんと相手に響くことも多い。写真は人の外側にあるが、言葉は相手の心の内側で再生されるから。

 

だから、「書く」なのだ。「話す」よりも対象を見つめ言葉を選ぶことが必要になる。言葉の感度を高める試みともいえる。言葉の感度を高めようとするうちに、表現の選択肢が増え、相手の言葉の受け取り方、つまり再生能力も磨かれていく。

 

美しい夕焼け、とくくってしまわない表現を、試していくこと。それも言葉の感度の高め方の一つ。

言葉との新たな出会いの時間。ぜひご一緒に。

​宇野哲代 2023年6月2日

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2023年7月1日/ ETHICA

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