
Maintenance Poiesis
【はじめに】
情報科学芸術大学院大学[IAMAS]の松井茂です。2022年度から「Maintenance Poiesis」というプロジェクトを始めました。これは、GALLERY CAPTIONの山口美智留さんとの共同による活動です。
この数年、芸術体験とはいったいなんだろう? と考える機会が増えました。例えばオンラインで芸術を体験するとき、当たり前のことですが、大抵なにかを解釈するところから始まります。私の場合、解釈が作品の輪郭をなぞりながら、その言葉は自分の詩に変形することもあります。「詩って書評みたいだな」。このぼんやりした循環を自覚したことは大きな体験で、詩はもちろんのことすべての書物がなにかの書評ではないかと思うようになりました。
少なからずこれに似た体験は、2021年12月に奥岡莞司さんが山口さんと開催した「詩に出会う」という読書会でした。日常に芸術体験を見出す機会、先に述べた循環に近い体験。作者と鑑賞者は分離できないのではないか? 鑑賞者は新たな作者にもなる。そしてまたバラバラに個人の生活に帰っていく。この循環から芸術体験を考えてみたいと思います。
すこし言い換えると、この話は「芸術の普段使い」を考えたいということでもある。この観点は、美学者、外山紀久子の「掃除ポイエーシス」、美術家ミアレ・レイダーマン・ユケレースの「メンテナンス」という考え方に触発されているところが大きい。と、ここまで係わるすべてを実践してみようというプロジェクトです。
松井茂(情報科学芸術大学院大学[IAMAS])
『Maintenance Poiesis:7月の読書会』-終了しました-
テーマ:
「掃除ポイエーシス」外山紀久子(「日常性の環境美学」西村清和編著、勁草書房より)
ミアレ・レイダーマン・ユケレース「Manifesto-for-Maintenance-Art」(1969年)
日時:
2022年7月30日(土)
vol.1 13:30-15:30【満席】
vol.2 17:30-19:30
2022年7月31日(日)
vol.3 10:00-12:00
vol.4 15:00-17:00
定員:各回6名 (事前予約制)
参加費:無料(ただし資料代として700円を当日徴収いたします)
案内人:奥岡莞司(三歩books and baked/LIGHT BOOK CLUB主宰)
会場:ETHICA
岐阜市八幡町14-3 三輪ビル2F
tel 058-207-8899
・・
『Maintenance Poiesis:8月の読書会』-終了しました-
テーマ:
「仕事机の上にあるいろいろなものについてのノート」ジョルジュ・ペレック
(「考える/分類する-日常生活の社会学」、法政大学出版局)
日時:
2022年8月27日(土)
vol.1 13:30-15:30【満席】
vol.2 17:30-19:30【満席】
2022年8月28日(日)
vol.3 10:00-12:00【満席】
vol.4 15:00-17:00【満席】
定員:各回6名 (事前予約制)
参加費:無料(資料代として当日700円を徴収いたします)
案内人:奥岡莞司(三歩books and baked/LIGHT BOOK CLUB主宰)
会場:ETHICA
岐阜市八幡町14-3 三輪ビル2F
tel 058-207-8899
・・
≪申し込み方法≫
「Maintenance Poiesis」は、まず読書会からはじめます。
読書会では、掃除や、メンテナンスといった日常的な作業を、美術的な観点から広げて捉えようとする、いくつかのテキストをその場で部分的に読み進めながら、皆さんそれぞれが<読んだ>ことを、案内人 奥岡莞司さんのもと、ひとつの場を通じて皆さんと共有します。ご希望の参加日時を第二希望までご明記の上、お名前と当日連絡可能なご連絡先を添えて、e-mailにてお申し込みください。
!)皆さんからたくさんのお問い合わせをいただき、これまで7月、8月とも連続して参加可能な方を募集しておりましたが、7月、8月、どちらか単独のお申込みも承ることにいたしました。
読書会の内容としては各回で完結しますが、「Maintenance Poiesis」はこの読書会を起点に展開していきます。どちらか一方のご参加であっても、それぞれのテーマである文献書籍は皆さんと共有しておきたいと思っています。単回でお申込みの方には、一方の読書会の資料をメールでお送りいたします。まずは皆さん各自で読み進めてみてください。
あらためてご案内申し上げます。
皆さんのご参加をお待ちしております。
e-mail gallerycaption@gmail.com
お問合せ:
GALLERY CAPTION(担当:山口)
岐阜市明徳町10 杉山ビル1F
058-265-2336
gallerycaption@gmail.com
企画:
松井茂(情報科学芸術大学院大学[IAMAS])
山口美智留(GALLERY CAPTION/ ETHICA)
【 ルンバで浮いた1時間の行方 】
わたしは古道具屋にいくことが好きだ。
誰かの不用品は、所変われば誰かの必要品になり、時代を飛び越えて、見立て直され愛される。昔、ゴミというものはなかった。落ち葉は土に還し、人間の糞尿も堆肥にしていた。江戸の街にはチリひとつなかったと言われるのは、そもそもチリ(ゴミ)という概念がなかったのではないか。
現代では、菌やウイルスを除去することに躍起になって、店に入るごとに手の消毒を半強制され、使い捨て容器も随分と見慣れてしまった。スイッチひとつで飯が炊かれ、全自動で洗濯物が洗われ、ルンバが走る。目の前からゴミは無くなるが、その行方は大して知らない。
西洋から”clean”という概念が入ってきたのはいつからだろうか。「清潔」と和訳されたそれは、汚れを除去することを意味していた。しかし、日本の古来からある務めとしての「清め」とは、似て非なるものであった。
庭を掃き、清める。
廊下を拭き、清める。
掃除という務めは、本来空間を清めるためにあり、その行いによって身体と心が整うことを日本人はよく知っていたと感じる。対して「清め」という感覚を見失った現代のcleaning(掃除)はいかに効率的・生産的に汚れを除去し、清潔にできるかを目指す。
では、ホウキで畳を掃いていた小一時間(ルンバに任せて浮いたはずの)は、どこへ消えた?
「スロー・イズ・ビューティフル」/ 辻信一(*) に、こんな一節がある。
—— 生きることは時間がかかる。食べて、排泄して、寝て、菜園を世話をして、散歩して、子どもたちと遊んで、セックスをして、眠って、友人と話をして、本を読んで、音楽を楽しんで、掃除をして、仕事をして、後片付けをして、入浴をして。近道をしなくてよかった、と思えるような人生を送りたい。——
わたしたちが「省略可能」と見なしてきた日常の凡事である『掃除』という行為を、ひいては人生そのものを、捉え直してみたい。
奥岡莞司(三歩books and baked/LIGHT BOOK CLUB主宰)
(*)平凡社、2004年